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あなたなしでは
「ただいまー」
ドアが閉まる音に重なるように、雄(ゆう)は深いため息を漏らした。今日も長引いた残業で、身も心も擦り減ったような疲労感が全身にのしかかっている。玄関に入るなり、重いビジネスバッグを乱暴に放り投げ、窮屈な革靴を脱ぎ捨てた。
「お帰りなさい」
奥から現れたのは、恋人の雅(みやび)だ。ふわりと揺れる金髪には寝癖が残り、ゆるいスウェット姿のラフな出で立ち。朝送り出してくれた時と変わっていないことから、一日中家の中で過ごしていたのは明らかだ。
雅は玄関に転がったバッグを軽々と拾い上げ、ふわりと微笑んだ。その笑顔だけで、雄の身体は少しだけ軽くなる。
「あー……疲れた」
雄は力なく雅の肩にもたれかかった。
「お疲れさま」
よしよし、と後頭部を撫でる雅の手つきが心地よい。鋭く張り詰めていた雄の心が、その手の温もりに柔らかく解けていくようだった。このまましばらくこうしていたい――そう思った矢先だった。
「ぐうう……」
雅のお腹が容赦なく鳴り響いた。
「あ……雄くん、俺もう限界なんだけど……腹ペコ」
「お前って、ほんと正直だよな。わかった、今作るからちょっと待ってろ」
空気を読まない腹の虫に苦笑しながら、雄はジャケットを脱ぎ、雅に預けてキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開けると、中には簡単に作れそうな食材がいくつか入っていた。雄はシャツの袖をまくり、手際よく準備を始める。フライパンから食欲をそそる香りが漂い始めると、待ちきれなくなった雅がキッチンにやってきた。
「うまそう〜!」
雅は雄の背中に顔を近づけてフライパンを覗き込み、子供のように目を輝かせた。その顔を見ていると、思わず笑みがこぼれる。
「ほら、一口。熱いぞ」
雄はフライパンから少し取り分け、スプーンを差し出した。
「うまーっ!」
雅は大きな口を開けて頬張り、声を上げた。
「こんな美味しいご飯が食べられるなんて俺、幸せ者だわ。雄くんなしじゃ生きてけない!」
「大袈裟なんだよ……」
そう言いつつも、雄は内心嬉しさを隠せなかった。ひょんなことから始まった同居生活。どこかヒモっぽい雅だが、その素直で無邪気な笑顔に、雄は何度も救われていた。
「美味しいから雄くんも食べてよ、ほら、あーん」
雅がひと匙すくい、雄の口元へ運ぶ。雄は促されるままに食べると、我ながら美味いなと密かに自画自賛した。
「あっ……ここ、ソースついちゃった。ごめんね」
雅の指がゆっくりと雄の唇をなぞる。その瞬間、甘い熱が背筋を駆け上がった。ふと気づくと、雅の顔が目の前まで迫っている。
「っ……みや?」
低く笑った雅はそのまま、柔らかい唇で雄の口元をそっと舐めた。その仕草に、抵抗する余裕もなく体が反応してしまう。頬を真っ赤に染めた雄の顔を下から覗く雅の目がギラリと光る。
「小腹も満たしたことだし……いいよね?」
雅は雄のネクタイを引っ張り、手繰り寄せたその唇に吸い付いた。
「んっ……」
ちゅっちゅ、と柔く喰むように繰り返されるキスは次第に深まり、熱を帯びていく雄の脳は今にも溶かされてしまいそう。残るわずかな理性が、今しがた作り終えた夕飯の心配をする。
「みや、ご飯……は?」
「あとでいい」
雅は左手を雄の腰に回し、右手で器用にネクタイを解いていく。しゅるり、と床に落ちるネクタイの音を聞きながら、雄は今夜の夕食を諦めた。
—–
雄が雅と同居生活を続けている理由。その二つ目は、体の相性が抜群に良いことだった。
雅の誘い方はマイペースそのもの。気まぐれで、どこか掴みどころがない。けれど、いざ触れられると、その手技に抗うのは難しく、雄はあっという間に彼の虜となっていた。
「んっ、みや……そこ、ヤバい……」
雄は熱い吐息を漏らしながら、身体を震わせた。思わず腰を引くが、それでも雅の動きは容赦なく、追い詰めるように深く攻め入る。
「……雄くん、奥……好きだよね」
雅の声はどこか悪戯っぽく、それでいて耳元を撫でるように低く甘い。
雅はその細い腰を掴み、ガツンと貫くように一層深いところへと自身を押し込んだ。
「あ゛、ああ〜〜ッ!」
雄の声が抑えきれずに溢れる。感覚が一気に押し寄せ、頭の中が真っ白になる。
「っふ、気持ちいい?」
雅は優しく問いかける。言葉にしなくても分かっているはずなのに――それでも彼は、いつもこの質問を投げかけるのだった。
雄は声にならない息を漏らしながら、ただ首を縦に振る。その姿を見て、雅は深く息を吐いた。
「良かった……すげー嬉しい」
目を細めて雅が微笑む。その表情には、どこか安堵と優しい愛情が滲んでいた。雄は途端に胸の奥がぎゅっと締めつけられるように熱くなり、言いようもない疼きが下腹部に押し寄せる。
「あ、ああッ……みやぁ、もうダメ、イキそ……」
断片的な言葉が雄の口から零れる。身体の奥から湧き上がる快感が一気に押し寄せた。
「……っ!」
内腿がビクビクと痙攣し、雄は絶頂に達した。蕩けた表情のまま、肩で大きく息をする。
雅は汗で額に貼り付いた黒髪をそっとかき分け、雄の潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「雄くん、好きだよ」
耳元で甘く響くその言葉に、雄の心が揺れる。雅は動きを緩めることなく、こめかみにそっと唇を落とした。その柔らかな感触に、雄はただ身を委ねるしかなかった。
(俺も、雅なしじゃ生きていけないんだろうな……)
残響のように心の中に広がる想いと快楽に包まれながら、雄はゆっくりと目を閉じた。
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